堺まつり 南宗寺茶会
今日は毎年恒例の『南宗寺茶会』に行って来ました。
堺まつりのイベントとして開催されて、三千家の茶席が設けられます。
9時頃南宗寺に着いて、まずはお墓参り。
南宗寺内の千家一門の墓えいの中に、萬代屋宗安の墓えいもあるんです。
真ん中の大きいのが利休で、その左隣の隣が宗安の墓えいです。
ちなみに利休と宗安の間にあるのは先妻の宝心妙樹の墓えいです。
嫡子である道安の墓えいが何故無いのか、解らないですし、史料によれば、萬代屋宗安と共に妻の吟も南宗寺に墓があるはずなのですが、それはここにはありません。
ちなみに道安の墓は徳島にあります。
もともと、宗安・吟など萬代屋の墓があって、別にこの千家の墓えいがあって、戦災などで焼失したのかもしれませんね。
ちなみに、萬代屋宗安が関ヶ原の戦いに負けて、堺を去るときに建てたとされる先祖の供養塔は南宗寺近くの延命寺にあります。
宗安は、関ヶ原の戦いで西軍、つまり石田三成側についていました。
関ヶ原の戦いの前、宗安は岐阜の大垣城で三成に会い、『もし私が生きていたら返してくれ』と言われ大名物の肩衝茶入を託されます。
ご案内の通り、三成率いる西軍は敗北し、宗安も東軍側から追われることになり、堺を離れます。
その時に建てた供養塔が延命寺にあるのです。
その後、宗安は九州の博多で黒田長政に見つけられて、三成から預かった肩衝茶入れを献上して、一生を黒田家の茶頭として終わったとされています。
歴史書をみると萬代屋宗安は1594年没で、例の利休切腹の件で、萬代屋後家お吟に対する秀吉の横恋慕が、その原因になったという説がありますが、大ウソだと解りますよね。ちなみに、宗安は秀吉の朝鮮出兵にも馬廻衆として参戦していますし、萬代屋として船も提供してます。
お参りを終えて、いよいよ茶席へ。
官休庵と表さんに入りました。
やっぱり宿命の正客をおつとめさせて頂いたのですが、さすがにもう慣れてきていて、楽しく過ごす事が出来ました。
お茶を頂いたあと、車をとめていた駐車場の前が『かん袋』だったので、『くるみ餅』
を。
暑かったので、氷のにしました。
何度食べても美味しいです!
お菓子でお腹は空いていなかったのですが、お蕎麦が食べたかったので美々卯へ。
ちく満とも想ったのですが、にぎわいそばが食べたくて。
お蕎麦は食べ放題で、いろんなおかずがあって楽しいメニューなんです。
てなわけで、いつもながらお茶会は楽しいです!
月に1回くらいあるといいんですけどねぇ。
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